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ミャンマーの旅ー11日目・12日目で終わりです!

Pc140023_2 Pc140024_2  2011年12月14日(水) 6:30 インレー湖の水上コテージを出発です。薄暗い中、5人乗りのボートに乗り込みニャウンシュエ町に戻ります。6:50 少し明るくなってきたインレー湖では、漁をする小舟が何艘かありました。屋根無しボートなのでもの凄く寒いです。ライフジャケットをしっかり身に付け、用意された毛布に包まって凍えながら乗っていました。Pc140027 Pc140029

7:05 すっかり明るくなってきました。ボートにも慣れてきた頃には下船です。来る時は真っ暗だったので怖かったですが、戻るときは朝陽に輝く湖の風景を眺めることができました。約40分足らずで到着です。       Pc140031 Pc140033 Pc140032 Pc140034 Pc140035

7:25 シュエヤンウェ僧院の外観見学です。1880年創建の木造建築で、今では数少ない貴重な建造物です。7日目・マンダレーで、仏陀の歯が展示されていたための交通規制で見ることのできなかったシュエナンドー寺院の代替です。同じ時代の木造建築だからといわれても・・・・・少し価値は違うように思いました。マンダレーの方は、ミャンマー最後の王朝・ミンドン王が亡くなったところで、ミャンマー最大級といわれている素晴らしいチーク材の建築のようです。修行僧が托鉢に出かける時間のようでした。Pc140037 Pc140039

8:25 同じ道を通って、へーホー空港に到着しました。

9:20 アジアン・ウィングス航空は、ヤンゴンへ向かい離陸です。機内は自由席です。隣の席にこのカゴが置かれ、ここから取り出して説明です。珍しかったので、説明も聞かず手にとって見ていました。Pc140040 Pc140041

10:20 ヤンゴンの町が見えてきました。10:25 ヤンゴン空港に着陸です。

Pc140044 Pc140046 11:10 スルーガイドのゼイヤさんが、「白い象がいるから見に行こう!」と言い出し、見ることになりました。白ではなくグレー?、ピンクグレーの象でした。このとき、普通の象って何色だったっけ?黒でもないし・・・ミャンマーでは、白い象はとても珍しくたくさんの人が見に来るようですが、ここは無料でした。この後、ミャンマー最後の昼食は観光客専用の飲茶でした。やたらウルサイではなく賑やかな一団がいたので、中国人?と聞くと「違います・・台湾人です」といわれました。台湾、香港、韓国などからの観光客が多いようです。      Pc140051

13:00 国立博物館の見学です。ミャンマー最大の博物館で、1952年にダウンタウンに設立しました。1996年に現在の場所に移転しました。館内撮影禁止、バッグなどの手荷物も持ち込み禁止と厳しいです。ミャンマー王朝の栄華を偲ばせる「獅子の王座」があることで知られています。マンダレー王宮の8ヶ所に設けれていた獅子の王座は、王宮を攻め落としたイギリス軍に持ち去られました。1964年に王座の一つが返還され、博物館に展示されています。高さ8、1m、チーク材で作られ、漆で固めた上から金細工で飾られた見事な王座は、ミャンマー最後の王朝の栄華と悲劇を伝えているといわれています。他にも黄金に輝く仏像など、煌びやかなものがたくさん展示されています。2階には王侯貴族の装身具や洋服、靴などが展示されていました。5階まで展示室があるようですが、エレベーターが下りしか使えないので3階でやめました。最終日の観光で疲れもピーク、何より涼しかったインレー湖と比べるとヤンゴンは暑すぎです。午後の気温は35度以上で、耐え難い暑さです。     Pc140048 Pc140052 Pc140053

社会見学に来ていた高校生です。派手なピンクのバスは、スクールバスだといっていました。

Pc140054Pc14005514:25  バスを降りて歩きます。イギリス統治時代のキリスト教教会です。金ぴかに輝く仏塔ばかりを見てきたので新鮮でした。

Pc140057 Pc140058 Pc140060 14:30 ボーヂョーアウンサン・マーケットです。イギリス植民地時代は、サッコゼーと呼ばれていました。サッコというイギリス人が造り、その名前が付けられたといわれています。入口の中央ドームがある建物は1926年に造られました。コロニアル風の2階建てで、ミャンマー最大級のマーケットです。ヤンゴンを訪れる観光客の殆んどが立ち寄るという観光名所です。何人かの日本人に会いました。生鮮食品はなく,Tシャツやロンジーなど土産物品が多いところです。このマーケットで一人のミャンマー人男性が近づいてきました。流暢な日本語で「私は○○です。あなたきれいな人ですね。困ることがあったらお手伝いします。私は妻が癌で死にました。3人の子どもを育てています。あなたにお店を紹介して、そのお店から少しばかりのお金をもらいます。そのお金、3人の子どもが待っています・・・・」。ミャンマー式お涙頂戴の物語です。このマーケットでは値引き交渉が常識と聞いていたので,Tシャツを3枚買って交渉しました。値引きはできないが、カレンダーをプレゼントするといわれました。ミャンマーにもカレンダーがあるんだと思いました。素敵なカレンダーでいい思い出になりました(カレンダーは2011年12月31日にUPしてあります)。

Pc140061 Pc140062 16:03 ミャンマーで一番見たかった所です。空港へ向かう途中にある、アウンサン・スーチーの家です。自宅軟禁を解かれ自由の身になった現在ですが、物々しい雰囲気が漂っていました。車窓からだけですが、かなりの豪邸に驚きました。

最後になりましたが、ミャンマーについて書いておきます。正式国名はミャンマー連邦共和国。国土の広さは日本の約1,8倍の67万7千㎢で人口は約5540万人です。首都はネーピード(2006年10月まではヤンゴン)、公用語はビルマ語(ミャンマー語)で、少数民族はそれぞれ独自の言語を持っています。宗教は国民の約90%が仏教徒で、その他キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教、ナッ神などです。どの宗教の人々も信仰熱心で、毎日パゴダに通う仏教徒も少なくないようです。仏教の教えを小さいときから学び、功徳を積むことで幸せが得られると信じています。通貨はチャットで、1000チャット=100円でした。インドシナ半島に位置し、インド・バングラディシュ・中国・ラオス・タイと接しています。7つの管区と7つの州に分かれており、管区には主にビルマ族が居住、州には少数民族が住んでいます。カチン族・カレン族・チン族・カヤー族・シャン族・モン族など135の民族が存在しています。国家元首はテイン・セイン大統領(2011年3月30日就任・任期は5年)で、昨今日本でも話題の人となっています。ミャンマーの歴史は、8世紀頃からピューと呼ばれる先住民が、現在のエーヤワディー川中流域に小王国を築いたのが始まりといわれています。9世紀頃になると中国の雲南からビルマ族が南下し、ピューやその他の勢力を倒しバガンに王朝を造りました。現在に残るバガンの遺跡は、11~13世紀に栄えたバガン王朝時代のものです。過剰な寺院建設やモンゴル軍の侵略で国は疲弊し、13世紀末にはシャンに滅ぼされてしまいます。バガン王朝の滅亡によって統一王朝を失い、各地諸勢力による小国が乱立します。16世紀になると上ビルマで、ビルマ族によるタウングー王朝が興り、国家統一を果たします。タイやラオスまでへも勢力を拡大しましたが衰退し、18世紀半にモン族が勢力を取り戻してきます。集落の首長であったアウンゼーヤが自らをアラウンパヤー(菩薩)と称し、モン国家への反撃を開始します。モン国家を滅ぼし、コンバウン朝を打ち立てます。19世紀にはいるとイギリスが進出を始めます。イギリスとの3度の戦いで敗北し、1885年にコンバウン朝は滅亡します。1886年ミャンマー全土がイギリスの植民地となり、インドの一部としてイギリスの支配下に置かれます。第2次世界大戦が始まると、1841年に日本軍が進出し、アウンサンらが独立義勇軍を結成します。日本軍と共にイギリスと戦い、ビルマ国を建設して日本が3年間統治しました。日本の敗退により再びイギリスの植民地となりました。アウンサンはビルマ国軍を掌握し、イギリスと独立交渉を続けますが1947年に暗殺されました。1948年、イギリスから独立しビルマ連邦となりました。1962年国軍司令官ネ・ウィンがクーデターを起こし実験を握ります。憲法は停止、企業は国営化、ビルマ式社会主義に移行していきます。1988年国軍がクーデターを起こし、ビルマ式社会主義は終り、軍事政権になります。このときアウンサン・スー・チーさんは自宅に軟禁されました。1989年に軍事政権が英語の国名ビルマを、11世紀からビルマ族が国名として使っていたミャンマーに、ラングーンをヤンゴンに変えました。1990年の総選挙でスーチーさんが率いる国民民主連盟(NLD)が圧勝しましたが、軍事政権は議会召集を拒否し民主化運動の弾圧を強化しました。2010年11月、20年ぶりの総選挙が実施され「民政移管」が宣言されました。2011年に就任した元元首のテイン・セイン大統領は8月にアウンサンスーチーさんと面談しました。自宅軟禁解除、政治犯の釈放、少数民族との和解など民主化路線を歩き始めました。欧米などによる輸入規制や新規投資などの経済制裁の解除と、2014年のASEAN議長国就任を実現するために大きく変化しているといわれています。私が訪れた数日前には、アメリカのクリントン長官が来ていました。政治犯の釈放も徐々に行なわれているようです。天然ガスや鉱物資源が豊富で、アジア一という人件費の安さから日本企業の進出も多くなってきています。今までは、ミャンマーといえば軍事政権で危ない国と思われていましたが、これからめまぐるしく変化していくことでしょう。

19:55 タイ国際航空306便でバンコクへ向かって離陸です。ヤンゴンの空港には、スーツを着た日本企業の男性が10人くらいいました。

21:30 バンコク・スワンナプーム空港に着陸です。ミャンマーとの時差+30分。

2011年12月15日(木)

    00:20 TG644便は中部国際空港に向けて離陸です。時差+2時間。

    7:22  無事セントレアに着陸しました。

僅か12日間のミャンマーの旅の紹介に、ずいぶん時間がかかってしまいましたがこれで終わりです。金色に輝く仏塔に明け暮れ、暑いのか寒いのかよくわからない国でもありました。危険な所も無く、本当に穏やかな人々の住む国だと思いました。ただ、寺院の裸足は何とかして欲しいです・・・せめて外国人用にスリッパを用意するくらいはお願いしたいです。スーチーさんが政権を取ったら、少しは変わることを期待しています。

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コメント

泳げない身には 船は怖いですね それも 小舟は特に
私も泳げないので そのボートに乗ったら 早く着いてくれーと祈ってた事でしょうw

白い像…って 何処が?って言うほど 白くないww

貴方キレイね…に お涙ちょうだいの話に乗っちゃったんですねww
まあ どうせ ほしい物があって買うのなら わざと乗るのも楽しいかもしれないです

この前 ミャンマーの事をテレビで はたして何処まで 改革が進むか
本当に 開かれた国になるのか まだまだ 心配事は多いと言ってました

国民にとって より良い方向に進んでいくと良いですね

ミャンマー旅行のブログUP お疲れ様でした

今週は 又旅行ですね 気を付けて行って来て下さい

投稿: パル | 2012年2月19日 (日) 22時22分

>パルさん
運動神経抜群のパルさんが泳げないとは・・・ビックリです!
インレー湖は素敵なところですが、あのボートは2度と乗りたくないです。
私もいいましたよ・・・白くないじゃないの・・って。
ミャンマーではこれを白い象というのですといわれました。

最近の新聞報道では、ミャンマーのことを取り上げる記事が多くなっています。民主化路線を歩こうとはしているようですが、いろいろな問題が山のようにあるようです。5年後、10年後にどう変化していくのか・・・目の離せない国でもあるようです。

いつもコメントありがとうございました。

投稿: ミポリン | 2012年2月20日 (月) 18時14分

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